小さな博士、ツムリン坊主

昨日の【キンモクセイ】のブログを書きながら、〝記憶の欠片〟が浮かんできたので少しだけ辿ってみることにしました。。

 

こんばんは〜

SNAIL VISION Nature Healing Trip

野生児出身の自然ガイド、ツムリンことトモキでございます♪

 

「人はなかなか変わらない」

 

どこかで聞いた事のある言葉です。自分に当てはめて思い返してみると、、

はい。変わっておりませぬ。むしろ、ブレてないと言うか、そのままですね。。w

 

幼少期の僕の興味の対象は、『生きもの』でした。

 

彼らの感情が解っていたし、こちらの感情も伝わっていました。

そして〝動く〟だけでなく、それぞれが意志を持って動き、自分と同じ様に食べ物を食べ、成長し、弱ったり活発になったりと、人間と姿カタチは違えど、〝同じ〟だと思っていました。

様々な生きものを見つけ、連れて帰っては両親に見せ(第一目的です。共感してもらいたいのですw)、そして飼育が始まるのです。

 

虫の類から、カメにヘビにトカゲなどの爬虫類、鳥やモグラも捕まえてきます。

日が暮れるまでモグラの穴を追跡して掘りまくった時は、帰る頃にふと気付くと、自分でも笑ってしまった位の広範囲を掘り返していましたw

コウモリにハマっていた時は探検も兼ねて洞窟へ。どこから得た知識なのか、発泡スチロール同士を擦り合わせると独特の高周波が出るので、それを聞いたコウモリが落ちてくる、という算段です。(失敗に終わるw)

夜中に父が60cm程あるナマズを捕まえてきてくれた時は、明け方まで頭をナデナデしてやりながら目が離せなかった事を覚えています。

マイマイカブリを観察しすぎて、特有の酸を目にかけられてリアルに危ない目にも逢いましたw

 

飼育を始めると、とにかく観察です。飽きるわけもありません。生きているんですからね!

特に捕食シーンは鳥肌を立てて跳ね上がって喜んでいました。カマキリやクモなどの肉食の昆虫は、それはそれはたまりませんw

 

こんな日々ですよ。友達と遊ぶ暇もない位(みんなファミコンにハマっていました)、採取と観察とスケッチは続きます。

こんな僕を見兼ねたんでしょうね。両親が、TVゲームではなく、それは立派な図鑑を与えてくれました。(三十数巻からなる、花から人体、宇宙まで)

小さな博士の誕生ですww

 

まさに朝から晩まで図鑑。学校から帰って来たら即、図鑑の日々です。

僕からすると欠かすことのできない神聖な儀式のようなもの。この繰り返す日常で、今につながる基礎ができ上がりました。

中でも一番見まくった〝動物〟の巻は、背表紙が剥離し、全ページが抜け落ちるのでガムテープで補強し、そのボロボロ加減が僕にモチベーションを与えてくれるのでしたw

 

生きものを飼育していると、最後はどうなるか?

逃がしてやらない限り、最後は必ず死ぬんです。

さっきまでは呼吸し、まばたきをして動いていたものが、動かなくなり、硬くなり、冷たくなるんです。

生きものを介して〝死〟と向き合っていました。

大切に育てていた数だけ泣きました。泣いた数だけ、小さな庭にはお墓が作られ、アイスのバーやかまぼこ板に名前が書かれた墓標が立ちました。さらに、死んでいる鳥や動物まで持ち帰ってくるので、庭は完全に墓地化していましたww

 

それでも、寝る時は虫かごを枕元に並べ(秋には秋の虫の音色を聴きながら)、目を閉じてはアマゾンやアフリカ、サバンナやジャングルの想像の世界で動物ウォッチングをしながら眠りへと入っていくのでした。。

 

 

素直に、楽しそうなオタクですね♪はい、楽しかったオタクです^ ^

いつも温かく見守ってくれた両親には感謝しています。

 

なんだか色々蘇ってきたので、〝ツムリン坊主〟でもシリーズ化しようかな〜w

3才のツムリン坊主