生かされているという考え方

イタリア、ミャンマーと、立て続けに大規模な地震が起きています。

何処に住んでいようと地球上。ひとつの生きた星の上にわたしたちは生かされていると想うと、どのような天変地異が起ころうとも結局は受け容れる以外ありません。

時に、手も足も出ない相手。それが自然というものなのかもしれません。どれだけ科学が進歩しようと人間は、西遊記でいうお釈迦様の手の上の悟空のような存在なのです。

いつ、何処で、何が起こるかわからないのは今も昔も変わりません。生き延びるためにも、準備だけは怠らずに進めましょう。

 

こんばんは!

SNAIL VISION  Nature Healing Trip

天然系自然ガイドのツムリンことトモキです♪

 

地震、津波、洪水、土石流、台風、干ばつ、熱波、寒波、隕石の落下、ウイルスの蔓延、、、

 

これら有事に備えた準備とはいかなるものなのか。こう考えた時に皆さんは何を思い浮かべますか?

 

食料や水、燃料の備蓄。

自然災害保険の加入。

頑丈な家づくりやシェルター、避難先や疎開先の確保。

地域やよこのつながりの連携や結束の強化。

家族や仲間内での有事時シュミレーションにおけるシェアリング。

 

などなど、他にもたくさんあると思います。そしてそれらは生き残った際に、大いに役にたつ大切な準備です。

 わたしたちは命がある限り、生きなければなりません。それこそが生命。生き抜く力こそ生命力です。

そしてそれは意識的に磨くことができる力です。上に挙げたことなどは、命を守るための力からの現実的な行動となります。

 

ひとつ視点を変えてみましょう。

 

わたしたちは明日のこともわからない生きものです。その他の生命もその部分は平等に同じです。

人間が明らかにその他の生命とは異なる部分に、文化的な命の過ごし方を日々営んでいることが挙げられます。

裏を返せば、一日を無駄に過ごすこともできるほど、多彩な楽しみ方を知っています。これは人間だけです。現実的に喰うか喰われるかの間を生きる彼らは、後にも先にもなく、今、この瞬間を生きているのです。

 

話を元に戻します。

 

自然災害の有事において、普段からの準備にしても目の前に押し迫る時の準備にしても、〝心の準備〟しかないと思います。あくまで僕自身の考え方です。

自然の脅威を目の前にわたしたち人間は、その他の生命と同じく、命運を天に委ねることしかできません。

結局、生きるか死ぬかわからない。となると準備たるものは、この今を全力で生き切るだけなんですね!(あ、これは希望です!全然できてないヒヨッコです(^ ^;;

はじめからその他の生命はやっていました。すべてを受け容れる生き方。はじめから自然の一部なんです。

 

自然の恵みに生かされ、自然に癒され、自然に命を奪われ、自然に還っていく。

 

そんな風に想う、今日この頃です♪

(画像はWeb上より出典)